性善説と性悪説は両方正しい?
こんにちは。
性善説と性悪説はそれぞれ孔子の弟子である孟子と荀子という人が唱えたものです。
簡単に説明すると
性善説とは人は生まれたときから人を思う心(善)がある
(孟子の思想の根源は仁であり、仁とは人を慈しむ心を大切にしなさいということです。
これを全員に当てはまるように説明しようとするとどうしても生まれたときから全ての人は仁を持っていると説明するしかないのです。
現在悪いことをしている人間を仁の道に連れていくには前提条件が性善説でなければいけなかったのだと思います。
例えば、ドラマで犯人を説得するときに君は元は良い人間だとか、君はそんなことをする人間じゃないのように説得をする場面がありますが、これは完全に性善説を基にした言い方です。)
性悪説とは人は生まれたときから人は競争心(悪)がある
(荀子の思想の根源は礼であり、礼とは秩序(ルール)を大切にしなさいということです。
なぜルールを大切にしなければならないのかというとルールを設けないと人は好き勝手に物を盗んだり人を殺したりするから、という理由です。そして、ルールを守らせるために教育が必要だとも説いていました。
先の例で説明すると犯人を説得するのは理想論だから、さっさと捕まえて更生施設にいれて教育を受けさせましょう。という感じです。荀子はかなり現実主義者だったようです。)
実際にこの文章を見て気付いた方もいると思いますが、この二つの理論は全く正反対のことを言っているわけではありません。
しかも、この二つの説はかれこれ2000年前から残り続けているものなので、どちらが正しいとかどちらが間違っていると考えること自体無理がある気がします。
両方正しいとすると人は生まれたときから善と悪を持っているという何とも平凡な解になります。少しつまらないので、例を考えてみます。
原始時代、人は群れを作り、男は狩り、女は子育てや果物等を採取をして生きていました。
子供は生まれたときから家族と暮らし仲間を大切にしていきます。仲間を大切にしないものは群れから追い出されて生き残れなくなり遺伝子が途切れます。そして仁を持つ人が生き残ります。
男は大きくなると狩りをします。群れでは狩りで一番腕の立つものがリーダーになり、良い妻をもらえます。
そこで男の中で競争が起こります。競争に負けた人は狩りではなくリーダーと直接勝負をすることで自分がリーダーになろうとします。負けると死ぬか群れを追い出されます。そして競争心があり、強いものが生き残ります。
(稀に競争心がなくても遺伝子を残せるやり手がいますが基本競争心がなく弱いものは妻をもらえないこともあるため遺伝子を残せません。)
こんな感じで今ある遺伝子には性善説と性悪説が刻み込まれているのだと思います。
性善説と性悪説について書きすぎて自論が書けなかったのでまた次の記事で書きます。
最後まで読んでくれてありがとうございました。
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